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『古事記』は地球問題の解答書
第3章/『古事記』の「唯神一元論」の世界観を理解する
2節/「生命的創造(選択)決定」が主≠ナあり、「因果の法則」は従

 平成30年・皇紀2678年12月17日
 うらしま たろう

 

2節 

「生命的創造(選択)決定」が主≠ナあり、
「因果の法則」は従

 


1)「客観的傍証」の大前提は「因果の法則」

 この「客観的傍証」を認めるということは、一切の事象の隅々にまで、「因果の法則」に基づいた様々な因果関係が働いている、ということが元になっていると考えられます。何故なら、「客観的傍証」を可能ならしめる為には、その傍証≠ニして現れているであろう、ある「事象」は「結果」であって、その「結果」を現し出した所の「原因」が必ず存在しているという「大前提」の上に立っているからです。無数の「因果関係」を、人類は一つ一つを詳細に理解することは不可能としても、全てに厳密なる「因果の法則」が及んでいることを、承認せざるを得ないということになります。

 

2)「原因」は「非客観的存在」から来る

 さらに、「因果の法則」が働いているということは、その法則の奥には、「原因」が無ければならないことをも意味しているのは当然です。つまり、「原因」が一切の「元」に無ければなりません。その「原因」は何かと言えば、「思想や概念」等の「非客観的存在」であると言えます。

 

3)「原因」は「今≠フ一瞬」に生じている「実体」

 何故なら、『現象的物質を「発生」もしくは「変化」、もしくは「持続」せしむる』ということは、「今≠フ一瞬」にそのいずれかの「実体」が生じているということを意味しているからです。つまり、「原因」とは、「今≠フ一瞬」に生じている「実体」であるのです。この「今≠フ一瞬」の問題については、この後詳細に考えてみたいと思います。「今≠フ一瞬」に生じている「実体」こそが、「物質(客観的過去)発生の瞬間」であり、「非客観的世界から客観的世界への窓口の瞬間」であり、「あらゆる事象(物質)」を生じせしめる「原因」であると考えられるのです。

 

4)「非客観的原因」は「因果の法則」に支配されないので「予測不能」

 一切の事象の「原因」が「非客観的存在」であるが故に、客観的(科学的)証明は出来ないことになりますが、その「非客観的原因」の存在を吾らは是非とも認めねばならないのです。ここに言う「非客観的原因」なるものは、「何ものかの意志」や、「人間の意志・創造」、「生命(生物)の意識的・無意識的活動」、という部類のものと考えられます。これらの「意志・創造」は、「因果の法則」以前の存在ですから、「因果の法則」に支配されない「自由性」を持っており、客観世界のルールである法則的な観点では「予測不能」であると考えられます。

 

5)「予測不能」の要素が「生命活動」の最大の特徴

 この「予測不能」という要素が、実は「生命活動」の最大の特徴と言えます。例えば、道が二手に分かれている場合、人が右に行くか、左に行くか、はたまた元の道を戻るか、それともその場で佇むかは、偶然的産物ではなく、「その人の自由意志による選択決定」であります。「その人の自由意志による選択決定」自体には、「因果の法則」の支配が及ぶことはありません。もしあるとすれば、過去の経験から生じた「印象」「思想」「習慣」による、半無意識的(潜在意識的・業の流転的)選択と言えます。

 

6)「因果の法則」によって「生命的選択(意志・創造)」が生じたのではない

 その「生命的選択(意志・創造)決定」は、「因果の法則」の外に位置しているのであって、その「生命的選択(意志・創造)決定」の主体性(原因)が、目的意識を持って「因果の法則」を使い「結果」を現し出している、と言った方が適当とも言えます。つまり、「因果の法則」によって「生命的選択(意志・創造)」が生じたのではない、という事になります。

 

7)「航空力学等の諸法則」が「飛行機を作った」のではない

 それは、人間が「航空力学等の諸法則」に基づいて飛行機を作り、飛ばす場合の関係に該当しています。「完成した飛行機を飛ばす」という行為は、『「人間」が目的意識を持って「航空力学等の諸法則」を使い「飛行機を飛ばした」』と言えるのと同じです。この場合、人間が「航空力学等の諸法則」を正確に理解することが必要となります。それを正確に理解し得ていない場合は、飛行機の墜落となり、人間の方が「法則」に翻弄されるような「結果」が現れます。「航空力学等の諸法則」が無目的に(偶然に)#行機を作ったのではない、ということになります。

 

8)「生命的選択(意志・創造)決定」が主≠ナあり、「因果の法則」等の「法則類」は従

 このように「因果の法則」をはじめとする「様々な法則類」は、「生命体(何ものか)」が、ある目的意識を達成せんがために、「様々な法則」を使って「客観的結果」を現し出し、その目的を達成させている、と言えます。その意味において、「生命的選択(意志・創造)決定」が主≠ナあり、「因果の法則」等の「法則類」は従≠ニいうことになります。もしも、『「因果の法則」によって「生命的活動」がなされる』という理論(これは間違っているが)を称える科学者がおられるとすれば、それは「因果の法則」が主≠ニなり、「生命的活動(人間の意志や創造など)」が従≠ナあることを意味してしまいます。この考え方では、もはや『人間の「自由」と「創造」』は無くなります。

 

9)人間等の生命体が「法則類」に翻弄されたと見えても、それを選択したのは生命体自身の「主体性」である

 例外的に、人間等の生命体が「法則類」を正確に理解していない場合は、その限りではないとも見えるでしょう。この場合は、「法則類」によって、人間等の生命体が自身の自主性≠失い、翻弄されている状態を指しています。それは恰も、「法則類」によって人間等の生命体が、支配されているかの様に観察されます。しかし、この場合でも、「法則類」に翻弄される選択を決定し受け入れたのは、人間等の生命体自身の「生命的選択(意志・創造)決定」であり、その点から見れば、やはりその生命体自身の「主体性」によるものであるということになります。何れにしても、「生命的選択(意志・創造)決定」が主≠ナあり、「因果の法則」等の「法則類」は従≠ナあると言い得るのです。

 

10)「人間の意志決定」が「法則類」を利用しながら、「文化・文明」を築き上げた

 このことは、吾々人間の「文化・文明」の形成過程の一切が、「人間の意志決定(創造・選択)」が先ず存在し、宇宙の様々な「法則類」を利用して、結果的に「文化・文明」を築き上げて来た事実を見ても、「生命的選択(意志・創造)決定」が主≠ナあり、「因果の法則」等の「法則類」は従≠ナあることが容易に理解できる筈です。

 

11)「非客観的存在」を「因果の法則」の世界で客観化する事により、「主体」が「客観的傍証」で確認している

 ここで言う『「何ものかの意志」や、「人間の意志・創造」』等は、「概念」であり、「思想」であり、「想念」と言えます。それらは「非客観的存在」でありますから、それ自体を「客観的」に観察証明する手だてはありません。故に、それらの「非客観的原因」を、「因果の法則」という「法則類」に反応させる事によって、「客観的結果(物質的存在・事象)」として現し出し、それを「主体たる人間」が観察する事によって、「客観的傍証」(実際にその学説や思想を、生活や社会に応用した時の結果証明)をしていると考えられます。


 

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