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『古事記』は地球問題の解答書
第2章/『古事記』の「唯神一元論」を科学的に証明する
7節/「今の一瞬」は実在するが、「過去」は無い

 平成30年・皇紀2678年11月11日
 うらしま たろう

 

7節 

「今の一瞬」は実在するが、「過去」は無い

 


1)「今の一瞬」は実在し得るが、「過ぎ去った過去」は既に無い

 ここで、『「過去」は無い』という意味を考えてみる必要があります。誰もが知っている当然の道理として、『「過ぎ去った過去」は現象的(物質的)には今は存在しない』のです。正確に言えば、「過ぎ去った過去」は、幻影、もしくは記憶、記録、想い出という「非客観的存在」として認識はできますが、今≠アの瞬間の世界には実在し得ません。実在し得る『「今の一瞬」は有る』と言えますが、既に過ぎ去り実在しない『「過去」は無い』ということになります。

 

2)「今の一瞬」の連続が、「持続的に存在している」ように見える

 実は、この世界に「実在している」のは、「今の一瞬」しかないのです。しかし、人間の目に「物質」が持続しているように見えるのは、「今の一瞬」の連続が継続的に続けられている場合、「持続的に存在している」ように見えるのです。

 

3)「生きているお祖父さん」は、「今の一瞬、一瞬」の連続で「生命」が現れている事を意味する

 例えれば、10年前に「亡くなったお祖父さん」は、その遺体も荼毘に付され、この世には存在していません。つまり、「肉体(物質)」を持った「お祖父さん」は、この「時間空間の現象世界(客観世界)」には存在していません。それは、「お祖父さんの生命」が「今の一瞬、一瞬」において、「肉体(物質)」として表わすという「生命活動」(生命の躍動)を行っていないからなのです。「肉体(物質)」を持った「お祖父さん」が「時間空間の現象世界(客観世界)」に現れていると言う事は、「今の一瞬、一瞬」の連続において「生命活動」(生命の躍動)が継続され、「生命」が現れ続けなければならないのです。

 

4)「実在している」のは、「今の一瞬、一瞬」の生命活動(生命の躍動)

 つまり、「物質」として観察し続けられている場合は、「今の一瞬、一瞬」において「生命が発現」していなければならないことを意味しています。「実在している」のは、「今の一瞬、一瞬」に発現している「生命活動」(生命の躍動)と言えます。この非客観的「生命活動」(生命の躍動)を、客観的に観察する為の「道具」が、その幻影として映し出された「物質世界(過去)」だということです。そして、その「物質世界は過去」でありますから、存在しているように観察できているだけで、実際には実在していないのです。吾々が「時間空間の世界」に存在していると感じている物質一切≠ヘ無い≠ニ言い得るのです。「時間空間の現象世界(客観世界)」において、吾々は「無い過去≠客観的に観察している」に過ぎません。

 

5)『「今」しかない』という概念は、肉体人間の頭脳認識では理解しにくい

 『「今」しかない』という概念は、「時間空間の現象世界(客観世界)」(過去)を観察している肉体人間の頭脳認識では、なかなか理解しにくい概念だと言えます。例えば、人間の目には、「物質」は持続して存在し続けているように観察できますので、「今の一瞬、一瞬」において「生命が発現している」という概念を、頭脳認識や感覚的には拒絶し勝ちになります。



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