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『古事記』は地球問題の解答書
第2章/『古事記』の「唯神一元論」を科学的に証明する
5節/「生物」と「生命」を混同している現代科学

 平成30年・皇紀2678年11月7日
 うらしま たろう

 

5節 

「生物」と「生命」を混同している現代科学

 


1)科学は「生命そのもの」の研究をしていない

 一般的に、「生命」や「心」が存在していることを否定する人はいないと考えられます。現代科学では、「生命的活動」を行っている物質、即ち「植物」や「動物」という客観的に観察可能な物質面を見て、それを「生き物」として捉えていますが、「生命そのもの」についての研究には至っていません。

 

2)科学は「生き物」と「生命」とを混同している

 そもそも「人間・動物・植物」等は、「生き物(生物)」ではありますが、「生命」や「心」との関係がどうなっているのかについては、科学的には全くと言っていい程、議論も検証もされていないようです。小生の理解では、現代の科学は、「生き物」と「生命」とを混同している可能性があると思っています。物質的に現れている「生物」のみを「生命」と捉え、物質を表わしている所の非客観的「生命」を無視している傾向にあるように感じます。科学的に観察したり、証明したり出来ない「生命」や「心」そのものを、認めるには至っていないのです。

 

3)科学は「死」や「生命活動」の本質を解明していない

 それは、「生きている人間・動物・植物」と「死んだ人間・動物・植物」との決定的相違を、現代科学では明確に解明し得ていないと考えられます。つまり、現代科学は「死」や「生命活動」の本質を解明していないと言えるのです。

 

4)「観察」できないだけの理由で、「生命・心・想念」を排除している

 しかし、現代科学者は、動物や植物が「生きている」ことを認め、自分の心の中では「生命」を認めているに違いありません。又、人間には「生命」があり、「心」「想念」があることも認めているに違いありません。ただ、科学的に明確に「観察」し、「証明」し得ていないだけの理由で、それらの「生命」や「心」や「想念」を、「科学の分野」から排除しているのだと考えられます。

 

5)自己が認識している存在を無視する事は「自己欺瞞」

 その姿勢は、「真実からの逃げ」ではないでしょうか。言葉を変えれば、「自分自身に対する欺瞞」ではないのでしょうか。つまり、自分自身の体験的直感によれば、「生命・心・想念」は存在することを認めているに相違ないのですが、科学者としての仕事≠ノおいては、「生命・心・想念」は無視して、それらの要因を排除して思考し、理論を構築していることになります。



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