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『古事記』は地球問題の解答書
第2章/『古事記』の「唯神一元論」を科学的に証明する
3節/量子力学によれば、「物質極微の世界」では「非客観的存在」である

 平成30年・皇紀2678年11月5日
 うらしま たろう

 

3節 

量子力学によれば、
「物質極微の世界」では「非客観的存在」である

 


1)量子力学的「物質の始原」は概念≠竍振動そのもの

 現代物理学の「物質の始原の研究」の進展により、既に近代物理学の常識であった「物質的原因結果の法則」(客観世界のルール)は、量子力学の世界では、一切適用できなくなっています。物質極微の世界では、量子力学的概念≠竍振動そのもの≠ノ、「物質の始原」を求める結論に至っています。まだまだ現代物理学は「物質の始原」の明確なる発見には至っていませんが、「超ヒモ理論」ではヒモのようなものの振動、「膜理論」では膜のようなものの振動と考えられています。

 

2)「概念」や「振動そのもの」とは、「物質的存在」「客観的存在」「観察可能な存在」ではない

 因みに「概念」や「振動そのもの」とは、「物質的存在」「客観的存在」「観察可能な存在」ではないということを意味しているのであって、どちらかと言うと「非客観的存在」「非物質的存在」「心的(想念的)存在」「概念的存在」に、極めて近い世界であることを意味しています。故に、量子力学の分野においては、古典的に「原因結果の法則」の「方程式」という手法が利用できず、「確率」「行列・ベクトル」等の「量子力学的検算方法」を利用しつつ、「量子」の推定に挑むしかありません。

 

3)量子力学では「物質の存在に対する否定」の方向に大きく舵を切っている

 このように、量子力学では、「物質の極微の世界」「物質の始原の世界」においては、「物質の存在に対する否定」の方向に大きく舵を向けていると言えるのです。物質が極微の世界でウヤムヤになり、概念的∞振動そのもの的@ハ子(※注)として認められている事実は、何を意味するかと言えば、明らかに「この宇宙一切の物質なるもの」の本質は、「物質という観察し得る客観的存在」ではなくして、「観察し得ざる非客観的存在」であることを、暗にほのめかしていると言い得るのです。

(※注:量子)・・・《波は物質ではなくて「状態」です。海水という「物質」の、ある「状態」が波です。原子より大きい世界では、このように「物質」と「状態」をはっきりと区別できます。しかし、原子より小さい世界では、そんな区分ができません。 電子は「物質」ではなくて「状態」です。 ただし、海の「波」の場合の「海水」にあたる物質がありません。粒子性(物質の性質)と波動性(状態の性質)を併せ持つ、このような特殊な存在を、 普通の物質と区別するため、「量子」(quantum) と呼びます。その「量子」を研究するのが「量子力学」です。 電子は「量子」の代表格です。》(「30分でわかる量子力学の世界」より引用 http://www.ryoushi-rikigaku.com/quantum.html)

 

4)「肉体人間」も「生命的・心的人間」も、共に「非客観的存在」

 それは「人間」にも言える事です。一般的に人間とは「物質人間」を指していますが、その「物質人間」の極微の世界、始原の世界に眼を向ければ、概念的∞振動そのもの的@ハ子としての「非客観的存在」であると、必然的に理解せざるを得ないことになります。「人間」に対する認識の一般的な見方は、客観的存在としての「肉体人間」と、非客観的存在としての「生命的・心的存在としての人間」の両者が、両立していると考えられていると思います。しかし、現代科学の最先端とも言える、量子力学の概念においては、客観的存在たる「肉体人間」そのものも、実は「非客観的存在」であると考えられる様になって来たのです。すなわち、「肉体人間」なるものも、「生命的・心的人間」なるものも、共に「非客観的存在」として理解されるようになって来たということです。

 

5)「人間」を「物質的客観的存在」と決めつけることは「非科学的思考」

 「量子力学」の科学的研究成果を勘案するに、もはや、「物質的存在」としての「肉体人間」と「生命的・心的存在たる人間」との区別は、極めて困難と言わざるを得なくなります。「人間」を「物質的客観的存在」と決めつけることは、もはや「非科学的思考」「過去の常識に引きずられた考え」「思い込み」と言わざるを得なくなります。

 

 

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