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『古事記』は地球問題の解答書
第2章/『古事記』の「唯神一元論」を科学的に証明する
2節/「問題」は「時間空間の世界」にあり、「解決」は「無時間無空間の世界」にあるという『古事記』の世界観

 平成30年・皇紀2678年11月4日
 うらしま たろう

 

2節 

「問題」は「時間空間の世界」にあり、
「解決」は「無時間無空間の世界」にある
という『古事記』の世界観

 


1)「無目堅間の小船」に見る『古事記』の「時間空間の概念」

 「時間空間の概念」に関して、更に興味深い記述を『古事記』から探し出してみたいと思います。それは「無目堅間の小船(めなしかつまのおぶね・まなしかつまのおぶね)」(※注)の概念です。『古事記』の「山幸彦(やまさちひこ)と海幸彦(うみさちひこ)」の神話には次の様な記述があります。「山幸彦」(日子穂穂手見命〈ひこほほでみのみこと〉、神武天皇の祖父にあたる御方)が兄(海幸彦)の釣り針を失くしました。どれだけ同じ様な針を作って兄に差し上げようとしても、兄は失くした針を返せと言って許してくれません。どうしようもなく悲嘆にくれていた時に、「塩椎の翁(しおつちのおきな)」が現れて、「山幸彦」を「龍宮海(龍宮城)」に導いたとあります。
(※注)・・・『古事記』では「无間勝間之小船」、『日本書紀』では「無目堅間小船」、ここでは「無目堅間の小船」としている。※「无(む)」とは、有と無の対立を超越した悟りの世界、「絶対無」の意。

 

2)「無目堅間の小船」に乗って「生命の本源の世界」に行く

 その時、「塩椎の翁」は、山幸彦を「無目堅間の小船」にお乗せして、「綿津見(わだつみ)の神の宮殿」にお連れしました。そこで失くした釣り針を見つけただけでなく、姫(豊玉姫〈とよたまひめ〉)をもらわれたことが書かれています。その姫との間に後にお生まれになった方が、「鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)」であり、「神武天皇」の父に当る御方です。この「綿津見の神の宮殿」とは、海(生み)の中(生命の本源の世界)にある「龍宮海(龍宮城)」に喩えられる世界で、全てのものを生み出す本源の世界の喩えであるから、失くしたり、困ったりする事が無い世界である事を示しています。

 

3)「無目堅間の小船」とは「無時間無空間の世界」

 ここに出てくる「無目堅間の小船」とは、「目無し」(時間の目盛りが無い)、「堅間」(空間がつまって距離が無い)事を象徴して書かれていると考えられます。これはどういう事かと言うと、吾々が存在していると感じている「時間空間の世界」(現象世界)を超越した「無時間無空間の世界」に吾々が入ると、「生命の本源の世界」がそこにあることを、神話として象徴的に書かれていると考えられます。
(※注)・・・この「無目堅間の小船」の考え方は、谷口雅春著『古事記と現代の預言』P224に書かれているものを参考にさせて頂きました。

 

4)「無時間無空間の生命の世界」に入れば、全体を一度に把握できるので問題は解決する

 この考え方はとても興味深いものです。通常の人間の感覚器官では、「時間」と「空間」を使って観察し、存在の有無を認識していますが、この感覚器官の認識を超越する世界観を、『古事記』では暗示していることになります。つまり、『古事記』が「無目堅間の小船」の神話で示している教訓とは、次の様なものと考えられます。【全体の全てを一度に把握できない「時間空間の世界」においては、その時点では一部分しか見えないからこそ、色々と分らない事や、失くし物が発生します。しかし、「無時間無空間の生命の世界」に入れば、全体の全てを一度に把握できるので、問題も解決するし、失くし物も見つかりますよ。】と言う様な意味だと考えられます。この考え方は、「時間空間の客観世界」は一部分だけを観察する為の道具であって、何かの問題を解決する為には、道具である「時間空間の客観世界」を超越する必要がある事を教えています。

 

5)「問題の解決」とは「次元の超越」

 「時間空間の世界」(現象世界)に囚われている時には、様々な「問題」「困難」が現れていますが、ひとたびその囚われから解放された時、諸問題は解決するということです。では、そんな事が実際問題として、あり得るのかということを検証して見たいと思います。「問題」に対する「解決」とは何かと言いますと、「次元の超越」であると考えられます。
『(1) 「一次元の直線」上を、両端から人が綱渡りして歩いて来る。この時、二人はある一点でぶつかるが故に、先には進めなくなる。』
『(2) しかし、次元を超越した「二次元の平面」上では、人が双方の反対側から歩いて来ても、幅があるので、横に逸れればぶつかる事無く通り過ぎることができる。』
この様に「次元を超越」すれば、問題は解決する事が分ります。「時間空間の次元」で、釣り針を失くしても、「時間空間の次元」を超えて「無時間無空間の次元」(時間の概念と空間の概念に囚われない高次元)に超入した時、問題が解決する事は、十分に考えられることです。

 

6)直観・精神統一・思考・理解・認識等の「精神的要素」は、「無目堅間の小船」

 吾々も良く体験する事ですが、「どうしても解決できない問題」にぶつかって困っている時に、「その問題を一度忘れて」、全く「別の意識」の世界に入った時、忽然と「解決策」が浮かび上がってくるという事があります。論理的に解らない「問題」でも、直観で解る事もよくあります。「直観」「精神統一」「思考」「理解」「認識」等の、吾々が常時活用している「精神的要素」や「形而上的要素」は全て、「問題解決」の為の、「無時間・無空間の世界」から「回答」を引き出し現し出す為の「道具」と言えます。すなわち、「無時間・無空間の世界」を航行し、「龍宮海(龍宮城)」(生命の本源の世界)に辿り着く為の、「無目堅間の小船」に当るものと言えるでしょう。

 

7)最新の「宇宙物理学」「量子力学」を遥かに超える『古事記』

 『古事記』は、大昔の人間が考えた「架空の神話物語」であって、科学的根拠も何も無いではないか、と思われ勝ちでありますが、色々と『古事記』と最新の「宇宙物理学」「量子力学」を研究して行きますと、全くそうではない事が分って来ます。『古事記』の「神話物語」は、最新の「宇宙物理学」「量子力学」と比較しても、それらに比肩するどころか、却って最新の理論を遥かに超える、興味深い「宇宙の真理」が書かれている事に驚嘆させられるのです。

 

8)最新の「宇宙物理学」「量子力学」は、まだまだ不完全

 最新の「宇宙物理学」「量子力学」と言いましても、まだまだ未完成であり、「物質の始原」「宇宙の始原」の解明には未だ至っていません。そればかりでなく、多くの矛盾を包含していると言わざるを得ません。これら最新の「宇宙物理学」「量子力学」が抱える矛盾点を抜本的に解決し得る「鍵」が、『古事記』には書かれていると筆者は理解しています。

 

9)『古事記』の内奥に隠された「宇宙の真理」

 しかし、その『古事記』の理解の為には、表面上(文字面)の『古事記』の解釈では何も解らないのです。その文字面の解釈は、唯の「神話物語」に過ぎないでしょう。しかし、ひとたびそこに含まれている「内奥の真理」を理解する力量を、人類が身に付けた時には、『古事記』は人類にとって、掛け替えのない「宝物」になると言って良いと考えられます。この「ふることぶみねっと」が、その『古事記』の内奥に隠されている「宇宙の真理」の解明の為の、一つの切っ掛けになれば幸いです。

 

10)『古事記』の根本概念は、「唯神一元論」と「物質無し」の宇宙観である

 「『古事記』の根本概念を一つ上げよ」と言われれば、筆者は迷わずこう述べます。【『古事記』の根本概念は、「唯神一元論」と「物質無し」の宇宙観です】と。その『古事記』の根本概念である「唯神一元論」と「物質無し」の宇宙観が、最新の「宇宙物理学」「量子力学」と比べて、論理に絶え得るものであるどうかは、実に興味深いものと言えます。それでは、その難題に挑戦し、『古事記』の『「唯神一元論」と「物質無し」の宇宙観』の正しさについて、以下に証明して行きたいと思います。

 

 

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